「俺たち2」管理人による遠距離通勤マガジン



しばざ記・ライブリポート (しばざ記 Vol.17)
2002年4月25日(水) 「水の音Vol.1」
渋谷 オンエア・ウエスト 18:30開場


  しかし、まったくおかしなタイトルのライブだ。きっと、私を誘ってくれた宮原永海の高木マネージャーが間違えたのかと思った。この「水の音」というタイトルは後述する。それにしても、そんなへんてこりんなライブへと四十半ばの私が道玄坂を歩き、若者の本拠地である渋谷の中枢部に乗り込むのだから、時代は変わったものだ。以前だったら、四十ヅラ下げたオヤジがライブハウスに行くなんて、そんなにないはずだった。いや、それとも私がおかしいのか。ま、どっちでもいい。ジャズのライブだったら行き慣れているから、少しは事情が分かっていると思った。ところがだ。オンエア・ウエストの客層は、想像はしていたものの、二十代の若者で埋まっていた。当然っていえば当然。周囲を見渡してもどうやら私が一番年寄りではないか。ま、出演者のバックでピアノを弾く栗本修が私と同じ歳だからいいか。

渋谷の道玄坂。懐かしい響きだ。ここを歩くのは、少なくとも十年は無かったはず。どちらかと言えば、道玄坂はあまり良いイメージではない。なぜかというと、渋谷からデートで坂を登っていっても、最後に246のでかい交差点にぶち当たり、そこから先は暗黒の世界が広がっている(ような)気がするのである。それと、金が無く(今でも金が無い)、せこいバイトをしていたのが渋谷の道玄坂を折れたところ。苦しいばかりで何も良いことがなかった二十代を思い出してしまうからだ。もっとも、道玄坂の左側の井の頭線のガード沿いの焼き鳥屋とか、立ち食いラーメン屋などは、愛用していたし、右側の円山町のホテル街入り口の道頓堀劇場には、知り合いから無料券を貰い、夜の芸術鑑賞に何度か行ったりしているので、まあ、二十年前までは渋谷は詳しかったのだ。

ところが、というか、これも当たり前のことなのだが、あの陰湿な香りがしていたホテル街がすっかり変貌しているのだ。そう、明るい。そして、異常に活気がある。かつては、決して若い女性など一人で歩けない感じだったのに、いるわ、いるわ、すごい、すごい!ラブホテルやピンクショップなども並んでいたりする狭い通りのコンビニでごく普通の女の子が普通に買い物しているし、道端で喋りこんでいる。昔だったら、この町をカップルで歩くことは、これからやるか、やってきた後かをホノメカスことだったのに、そういうイメージは微塵も無い。やった、やらないという文章化していることだけでも、私とはまったく異質の文化がそこに根付いているような気がする。だが、歌舞伎町のちょっと怖い雰囲気も多少は残っている円山町。オンエア・ウエストはその奥にある。
 
オンエア・ウエストのあたりにはネオンに輝く大きなクラブ(昔とは発音が異なる)や、おしゃれなバー、ライブハウスがひしめき合っている。そして、開演をいまかいまかと待つ若者が路上にたむろしている。まるで、ブロードウェイのようではないか。行ったことないけど。きっと、東急文化村の流れがこっちに来たんだ。と、後で一人納得した。公園通りに端を発した若者文化が、センター通りでちょっと違う方向に行き、そして紆余曲折して、円山文化になったのか。そんなこと考えているのは私くらいか。とにかく、チケットを買って階段を上る。チケット販売ブースにいたおばさん(と、言ったら失礼か)は、昔の小便臭い映画館にいたモギリのおばさんのイメージだったのが笑える。

ドアを開けると、ミニシアターのような雰囲気。パイプ椅子が5列ほど並んでいる。つまり全部が特等席。しかし、意外に左右は広い。椅子は100席くらいだろうか。あとは立ち見のスペース。そして、500円で好きなドリンクが飲めるスタンドバーがある。ステージは、この空間にしてはもったいないくらい広い。ステージ上には既にドラムセットや、アンプ類がところ狭しと並んでいて、その間を縫うようにスタッフが走り回っている。私は、入り口に近い、といってもステージにも近い前から5列目の真ん中に座った。そう一番後列だが、横浜アリーナだったら報道陣の席か、それともスペシャル高い席になる。宮原永海のマネージャー氏がいたので、椅子の上にくたびれたカバンを置き、挨拶に。幕張でお目にかかって以来。

このライブの企画・そして運営は彼が所属している会社がやっていると聞いていた。そこで、どういう理由でこんなタイトルになったのか聞いてみた。「うーん、なんちゃってタイトルなんです。」マネージャー氏は苦笑する。まあ、そんなところだとは思った。「今年あたりちょっと頑張ってるぞ、という女性アーティストたちが競演するという趣旨で、シリーズ化してゆきます。」と、再びジャーマネ氏。なるほど、永海ちゃんも8月のCD発売に向けて頑張っているのか。無論、永海ちゃんには頑張ってメジャーになって、テレビにもガンガン出演してほしい。

 
いよいよ場内が暗くなり、ステージ上にスモークがたかれる。緊張の瞬間。微かな光の中、中奥にひとり、左右に二人のシルエットが。そしてドラムのカウントとともに思い切りベースが、ギターが、キーボードが唸り出した。すさまじい音響。だが、音が良い。穴倉のようなロック喫茶に慣れた私なので、そう感じるのかもしれない。ひょっとしてTOKYO−FMのホール(最近、よくライブを聴きにゆく)と甲乙つけがたいのではないか。狭いながらもベースはめちゃくちゃ重低音で、かといって切れも良く、ドラムなどは10本くらいのマイクで音を拾っている。贅沢な話しである。ミキサーの腕もいいのだろう。たぶん。照明は上下左右、そして前後に数十。いや、100本くらいの光源がありそうである。中央のキーボードを弾く女性・伊藤サチコに、背後からシルエットを浮かびあがらせるまばゆい照明、そして、正面から2本の柔らかめのピンスポが当たり、小柄な彼女が歌いはじめる。

伊藤サチコは、巧みに鍵盤を叩きながら、オリジナル曲をシャウトする。ハイトーンの伸びもなかなかだし、ピアノもウマい。若さが爆発したステージだ。正直言えば、私は彼女のことをまったく知らなかった。この「水の音Vol.1」の出演者5人の女性の中で知っているのは宮原永海と田村直美だけ。いや、田村直美も有名なアーティストなんだろうけど、1度、KRONIZCKのライブの飛び入りゲストで歌を聴いただけである。まあ、四十男はたいていは二十代前半の伊藤サチコのような女性シンガーなど知らないのが通常だろう。と、言い訳するが、こういった音楽も時々は触れておいたほうがよい。とにかく、歌がウマい。十代、二十代の女性シンガー独特の透き通ったハイトーンは、生で聴くとより一層素晴らしいのだ。

どちらかと言えばボーイッシュで茶目っ気があり、いたずらっぽい感じの伊藤サチコ。自らが作った思春期から大人になってゆく過程を表現した詞と、メロディに自ら弾く微妙なキーボードの旋律。そして、バッキングのギターと、ベースの不思議な音がミックスされる。きっとギタリストもベーシストもドラマーもある程度は有名なミュージシャンなのだろう。若いけど、ウマい。いや、若いから余計にいろいろな音を試行錯誤しながら一生懸命作ったという感じのオリジナリティがある。ギター氏は、シンセを絡め、ストリングス系の音でキーボードを引立てる。ベース氏は、テルミンを取り付けたスタンドを、立ち位置の近辺に置き、要所要所でノイズィで不思議な感じを加える。ドラムはバスドラに重点を置いた歯切れの良いリズムを刻む。前述したとおり、音響が良いせいで、バスドラとベースが重なる低音部のピーク音もクリアに聞こえる。もちろん、歌詞もしっかり聞き取れる各楽器の音量バランスも良い。

 
伊藤サチコの20〜30分のステージが終わり、約10分ほどの休憩が入る。その間、次のステージのためにバラシが始まる。せっかく組んだステージなのに、バックも変わるので、ドラム以外はレイアウトがすべてチェンジなのだ。そして、鳳山雅姫がステージに立つ。バックのギター、ベース、ドラム、キーボードは現在の彼女のオリジナルメンバーのようだ。ところで、鳳山雅姫は、「とりやままさき」と読む。めちゃめちゃ堅い雰囲気の名前だが、この人も割と注目されているらしい。伊藤サチコとは対象的で「女」を前面に押し出したような歌い方とルックス。長い髪と胸元がぐっと開いたルーズなワンピースで中央にふらふらと立つ。声は宇多田ひかるを連想させるハスキーで芯が太い感じ。独特のわざと不安定なビブラートの使い方もいい。

鳳山雅姫の良さは、もちろん歌もそうだが、詞にある。彼女自身が作るというへんてこな感覚の詞は、従来の女性アーティストには無かったものだ。しいてあげれば、清水みち子がパロディで作った曲のような感じとでも言うか。あるいは、矢野顕子が半分遊び感覚で作ったような詞に通じる。辞書で調べたという「月に群雲 花に風」をはじめ、「渇いた胸」、「似た月」、「縛られた手足」、「錆びた髪」という不可思議なタイトルも面白い。16歳で詞を書き始め、テレビドラマの主題曲にも抜擢されるなど、今後めきめき実力を発揮しそうな19歳。ちなみに、「似た月」という歌詞は「あなたは短い髪が嫌いなはず だから切ります あなたは歌う私が嫌いなはず だから歌います」という出だし。そしてエンディングでは、「あなたのことが嫌いだから 私は毎日 月を見ます あなたに似た月を」と結ぶ。なんとも難しい乙女心をリアルに表現しているではないか。

壊れやすい、そして気だるい、大人になる一歩手前で逃げ出したい衝動に駆られる微妙なラインを見事に詞に託し、そして切々と歌う鳳山雅姫。バッキングのキーボード氏のストリングスの音色を見事に絡め、そしてアップテンポには、ちょっと難しい感じのコードのカッティングで入るギターワークがかっこよかった。伊藤サチコといい、鳳山雅姫といい、循環コードに慣れた我々の世代や、以前の日本のポップスとはちょいと違う。すんなり覚え、一緒に歌い踊り、というわけにはゆかないが、聴けば聴くほど味のある曲に仕上がっている。詞も曲も、なにかストレートに物を言わない、いや言えないもどかしさも感じる。音楽レベルがどんどん上がっていっているのか、それともあまり良いことが起こらなかった21世紀の幕開けを反映しているのか、複雑なコード進行が受けている。

 
ご存知、宮原永海がステージに立つ。幕張ベイタウンで行われたベイタウン・ミュージック・フェスタに来てくれたばかりなので、記憶も鮮明。しかし今夜の永海は、ベイタウンに来たときと大きくビジュアルが変化していた。まず髪型。キューティクルがたっぷりのツヤツヤで長いストレートが好印象だったのに、ソバージュにしてしまった。最初、背後からのライトだけだったので、異常に髪の毛だけがオレンジ色に光り、怪しい雰囲気だった。しかし、前面からスポットが当たると不安は解消した。そこには明るくて素直な永海がいた。私は、永海のソバージュは好きではないが、私の後ろで立ち見していた若い女の子の集団から「かわいいーっ!」という声援があったので、きっと似合っているのだろう。

宮原永海は、8月にミニアルバムを出す。自ら詞を書き、栗本修が曲をつけた「Reason」。これはベイタウンでも歌った。私は過去に4、5回永海の歌を聴いている。永海は、たいていこの曲を歌ってくれる。出だしの気だるさ、そしてサビの部分の泣き。なにか理不尽さを訴えるような、これも微妙に揺れ動く展開の曲であり、さすが長年この業界で活躍していた栗本修の大作であると私は思う。彼女は、アメリカンスクールに通い、そして思春期をオーストリアで過ごす。だから(というわけではないんだろうが)、発音がきれいだ。しゃべり方は、今風の感じだが、決してきゃぴきゃぴしていないところが良い。現在23歳で、こういう業界では遅い目のCDデビューとなる。今回の出演者の中では唯一デビュー前だ。

こうして若い女の子が次々に登場するステージというのは、中年男には嬉しい反面、成長した娘の部屋を覗きこむような父親のような心境になる。私の世代にも早い結婚をすれば、彼女のような娘がいてもおかしくない。実は私は永海を自分の娘のようなつもりで見ているのかもしれない。彼女よりも年下の鳳山雅姫は男に対峙する女を演出しているが、永海は、もっともっとあっけらかんとした感じだ。「Prince」という曲の前説には、「いつか王子様が現れると信じていたのに、二十歳と超えるとそんな人はいないし・・・。」とあった。ロマンチックでいたいのに、現実との大きなギャップ。だんだん世の中の理不尽さが分かってきた二十代の娘。自分の娘が社会の荒波に向かって走り出したのに、なにもできないでいる父親の焦りを感じてしまったのは、私の年齢がそうさせているのだろうか。

それにしても、面白かったのは毎度のことながら、とぼけた感じのMC。1曲歌い終わったところで、メンバー紹介をした。まずは、栗本修について。「そこでキーボードを弾いているおじさんは、」というところで会場はどっとウケる。「意外にねちねちしてるんですよ。まあ、そうは言っても栗本さん無しに私の音楽は考えられないので、大切な人です。」んーむ。かなり落しながらも、しっかりとポイントを押さえている。「そしてベースはバカボンさん。グレッグ・リーさんが肺炎になっちゃったんで、急遽お願いしました。」と。そう、このライブの楽しみのひとつにはベイタウンで消化不良だったグレッグ・リーのベースを聴き直すこともあった。だが、バカボン鈴木さんのベースも超一流で、結果的には楽しめた。

バカボン鈴木。私は過去に2度ほど彼のライブに行った。歯切れの良い、いいベースを弾く。もちろん、プロなのだから当たり前で、私ごときの表現では書き尽くせない。小刻みな低音部のややチョッパー気味のピッキング。アタック音の細部まで計算され、きちんと一音ずつミュートができているし、リフのセンスの良さ。高音部のアルペジオなど、1曲の中でこれでもか、という多彩なパフォーマンス。グレッグの力強く、そして粘っこいベースとは雰囲気を異にしているが、好きなベーシストの一人だ。秀逸だったのは、ラストに登場した田村直美のバッキングの時、ポリスの「メッセージ・イン・ア・ボトル」で魅せたフリージャズのような先が読めないベースワーク。かなりアドリブも入っていた。わざと音階を外したところから一気に正音階に戻ってゆく遊びも冒険的で面白かった。

 
もちろん、永海の曲の殆どを書いていて、田村直美にも曲を提供したり、アレンジしたりしている栗本修もたまらなくかっこよかった。バッキングのミュージシャンも時にはビジュアルで重要なことが多い。バカボンの指の運びなども音楽性に加え、視覚的な部分で重要だし、栗本の周囲に指令を発する目線も興味深い。今夜の栗本は、更にスモークと左右からのスリットの照明を浴びて、天上で神々が奏でる、というような雰囲気になっていた。翌日の電話で、「照明の関係かもしれないけど、過去のどのライブの時よりかっこ良かった。」と栗本に言ったら、「そう?有難うございます。」という短い返事だった。彼はどうもビジュアルをあまり意識していない様子だ。

もっとも栗本の場合ビジュアルで誉められてもあまり嬉しくないようだ。作品の中のあのリフがかっこいいとか、あそこの乗りが良かったとか、あのコード展開は斬新だとかという部分に触れると途端に前のめりに話しに入ってくる。アマチュアで全然音楽に深くない私の言葉にだって耳を傾けてくれるほど彼は音楽に対して真摯に取り組んでいる。宮原や田村に提供している曲などを聴いている限り、曲作りのインスピレーションや、アレンジのアイディア、テクニックは一流なので、もっと偉い先生のように振舞っても良いのだが、雰囲気は普通のおっさんである。まあ、そんなところが私は好きなのだが。

 
ステージには再びキーボードが中央にセットされ、柴草玲が歌い始める。バックはいない。いわゆるキーボード(エレピ)の弾き語り。歌い方、ピアノの弾き方に貫禄がある。それもそのはずで、ライブの経験が豊富で、もちろんCDも何枚もリリースしているらしい。声的には、今回のアーティストの中では一番のお姉さんという感じだった。低音から中音にかけて、太くならず可愛らしい地声、中音部から高音部へはハスキーに自然に声が割れて行く感じが個性的だ。バッキングが入った場合にどうなるのか、今度はそういう曲も聴いてみたい。今回は全てピアノオンリーなので、じっくり聴かせる曲の構成だった。弾き語りの場合、歌詞がきっちり聞き取れるので、余計に柴草の世界を堪能できる。

柴草玲は、鳳山雅姫にも曲を提供している。今回のステージでは1曲だけ鳳山雅姫とデュエットがあった。見事なコーラスだった。鳳山が低音部、柴草が高音部やファルセットを担当したのだが、生音とは思えない、なにか特殊効果をかけたように厚みのあるハーモニーだった。柴草は、次のステージの田村直美にも曲を書いている。知的で、ハモれる、しかもメインボーカリストでもイケるとなれば、今後あらゆるシーンで活躍してゆくのだろう。素晴らしいアーティストだ。

こうして、どんどん時間が経過していった。6時半の開場から既に3時間以上私はここにいたことになる。5人も出るのだから、それなりの時間はかかるのは当たり前。しかし、まさか10時を過ぎるとは思ってもみなかった。そう考えると、前売り3000円、当日券でも3500円という料金はとんでもなくお得である。きっと各アーティストのプロモーションにかかる経費として、計算されているので、その分がお安いのかもしれない。しかし、単にアイドル歌手が次々出てくるイベントではなく、才能溢れ、創造力豊かな個性的なミュージシャンが、これでもかと出てくる3500円は超破格としか言いようが無い。



 
ラストステージは田村直美。5人のステージのトリである。小柄で、ボーイッシュで、されど、スタイリッシュな彼女は人気が高い。私は詳しくないのだが、プロフィールを見ると、「パール」というグループのボーカルで、各種の賞を獲得、ソロになってからも注目され、テレビアニメの主題歌や、ドラマのテーマ曲を歌っているらしい。驚いたのは、紅白にも出ていること。そんな有名な人だとは思わなかった。だが、実物は、普通のお姉さんという感じ。全然気取っていない。笑顔が可愛い。確か今年32歳。(※最下段に説明有り)

田村直美を見るのは2度目。前回はおととしだったか、目黒のブルースアレイで、KRONIZCKをバックにシャウトしていた。しっとりした曲も良いが、彼女はシャウトしたときに真価を発揮する。もともと声が高いのもあるし、高音部が無理無く伸びる。最近、音域の広いボーカルが多いが、全域に渡り、声質を一定するのは難しい。田村の場合、喋る時の声ですら歌っているときとイメージが変わらない。発声練習のしっかりやっているという賜物かもしれない。それに、先天的に備わったものも大きいはずである。

今夜のステージでは、彼女の好きだというスティングの曲を2曲歌ってくれた。いったいどんな感じなのだろうと固唾を飲んで聴いた。最初はオリジナルに近い感じ、途中から栗本がアレンジしたフリージャズっぽい感じ、ラストは彼女の声がシンセサイザー系の楽器になったように、栗本修のピアノに絡んでくる。そしてバカボン鈴木の壊れかかった奏法、鶴ちゃん(正確に名前はわからない)のドラムとの掛け合い。言い方は古いが、前衛音楽を聴いているような気分になった。テクニックも凄いし、歌そのものを心から楽しんでいるようで見ていて気持ち良い。

 
田村直美のステージが終わったのは10時40分。3時間40分たっぷり音楽を楽しんで帰宅の途についた。少し冷たい5月の宵の風が心地よい。円山町を出て、ネオンまたたく渋谷駅方向に道玄坂を降りても、バカボン鈴木の奏でる重低音のベースが耳に残っている。それぞれ5人の女性アーティストの声が残っている。ものすごく興奮していた。いいライブに行くと、いつも興奮した状態で帰途につく。今夜は特にそう思った。「水の音」というイベントは、継続するらしい。頑張ってメジャーなイベントになってほしい。それにしても、鳳山雅姫がバラしていたが、「水の音」の語源は単に水曜日のイベントだから、ということだ。なんだ、そういうことだったのか。まいった、まいった。

余談だが、宮原永海が、ステージで「歌はあまりうまくないけど、一生懸命頑張りますので、よろしく。」と言っていた。CDデビュー前に、なんて自信の無いことを言うのだと一瞬むっとしてしまった。似たような話しを以前にも聞いたことがある。それはおととし田村直美と共演した時に、彼女は田村の歌唱力と自分の歌を比較し、愕然としたらしい。あまりにも自分の歌が下手だとうことを痛感したのだ。師匠の栗本も、厳しい評価をしていた。それから、必死になって練習に励んだと本人から聞いた。マネージャーの高木氏も売れるのは難しいと言う。でも、彼女は負けない。歌が好きだから。頑張れ!永海!


※田村直美の年齢だが、2002年4月現在、37歳ということが判明した。ひょえ〜っ!オドロキ、モモノキである。めちゃくちゃ若く見える。それとも筆者が37歳のビジュアルをものすごく若く評価してしまうくらいの年齢に達したということなのか。いずれにしても、まいった。


毎度のことですが、こういった文章を書いても読み返しはしておりませんので、誤字脱字、表現力の欠如などあります。申し訳ない。(ぺこり)
お気づきの点がありましたら、ご一報ください。
shibazax@mb.infoweb.ne.jp


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