「俺たち2」管理人による遠距離通勤電車マガジン

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新そばを食べる


たまたま知り合いになり、仕事でも関わらせて頂くことになった茂野和彦さん(茂野製麺・常務取締役)から、「秋は新そばのシーズンなんです。」ということを聞いた。
なるほど、この時期、街なかの蕎麦屋さんには濃紺に白抜きの文字で「新そば」と書かれた大きな垂れ幕が掛かっている。
そういえば新米、新茶、新海苔という「新」が付く食品の中で、「新そば」の季節だけはイメージしていなかった。それは私くらいなのだろうか。

そうは言っても実は私、そばが好きである。麺なら何でも好きだが、とりわけ、そばへの思いは一段と強い。そのくせ、きちんとした知識は持ち合わせていない。そばは一年中食べられるし、まさか秋が新そばの季節なんて、これっぽっちも考えてみなかった。そんな私であるが、最近そばを研究してみたくなってきた。その前に、私のそばの履歴をさらさらっと、書いてみる。題して、「思い出のそば」。あまり面白くないページだと思いますが、お暇でしたら、どうぞ。

最近そばに凝るようになった茂野製麺の北信州手折りそば。乾麺でも生麺に匹敵する美味さだった。
防腐剤等の薬品が入っていないので、茹でたお湯は捨てないで、そば湯として飲むとよい。


こどもの頃おふくろに作ってもらった濃厚醤油に鳥のぶつ切りと大きめに切った長ネギが浮いている鴨南風の田舎そばが最高に美味いと思っている。今は亡き父が知り合いの養鶏場から鶏を1羽貰ってきて、庭の片隅で首を締め(ちょっと残酷だが)、そしてバラす。あの当時はたいがい乾麺だった。あるいは、スーパーで安く売っている生麺。どちらにしても、そばは高級というイメージではなかった。そばは庶民の食べ物であった。最近はそばが非常に高級な料理に昇格してしまった。

電車で旅行に行った時に必ず食べるのがそばだった。小学校の低学年の頃、あまり鮮明な記憶ではないが、新幹線で一気に目的地まで行ってしまう今と違って、地方の大きな駅で乗り換えが多かったり、他のルートを走ってきた列車と連結する為に待時間が多かったりして、駅のホームなどでそばを食べる機会が多かった。山形への旅行にとき、福島の駅構内で食べた蕎麦は特に心に残っている。上野から東北本線に乗り、福島で奥羽本線に乗り換える。昔は一日がかりだった。

中学校くらいの時か。父がやたらに手打ちそばに凝っていた。父の実家の近くに手打ちそばの達人がいて、直々に教えてもらったらしい。最初はうまくゆかなかった。ぼそぼその麺で、しかも、細く切ることが出来ないので、うどんのようなそばだった。それはそれで美味かった。そば湯も格別に美味かった。麺つゆも昆布や鰹節で出汁をとった自家製だった。

高校を出て予備校に通っていた頃は駅頭の立ち食いそばが毎日の昼食だった。お金が無かったので、コロッケそばは夕食のインスタントラーメンよりも遥かに高級だった。時にはカレーライスとのセットだった。「富士そば」などの立ち食いそばのチェーンがあちこちに出来た頃だ。どちらかといえば、私は「梅もと」のファンだった。そばを食べ教室に戻ると、「おめえ、そば臭せえ!」とからかわれた。


「そばかりんとう」
これ、絶対に嫌いだった味なのに、最近、ほのかなそばの香りと、適度な甘さに凝っている。

京都にゆくと必ず食べているそばは鰊(にしん)そばだ。甘辛く煮た磨きにしんに、薄めの出汁が良く合う。それほど詳しくないが、京都のそばは白っぽい更級系で、上品な感じがする。東北の山間で食べる、黒っぽくて、ざらざらして、太い田舎そばとは全く雰囲気が違う。もちろん、味も大きく異なる。私はどちらも好きだ。

浅間(せんげん)そば。これは稲毛海岸の浅間神社の門前にあるそば屋。千葉は美味いそば屋が無いと思っていたら、案外近くにあって驚いた。細めで、非常に腰のあるそばだ。店の雰囲気も良い。中に入ると、藁葺き屋根の農家の雰囲気。交通量の多い14号線沿いにいることを忘れてしまう。雰囲気も良く味もいい、という蕎麦屋は八千代にもあった。澤田家といったけ。確か成田街道沿いだったかな。旧家をうまく使った店構えだ。
行徳もまた美味しいそば処がある。これはまた別の機会にご紹介する。

十年くらい前に義父と一緒に栃木県の山間いにわざわざそばを食べにだけクルマを走らせたことがある。たまたま地元の方にお勧めのそば屋を聞いたら、暇だから一緒に行ってやるということになった。山奥に入ると、民家も少なくなり寂しくなる。まさか、こんなところにそば屋があるわけない、と思いつつも、期待は高まる。そして着いたところは、一軒の農家。どこにもそば屋の看板は出ていない。土間にテーブルがあり、何人かの先客がそばを食べている。確かにそば屋だ。これは渋い。メニューは、おまかせ天ぷらと一升そば(5人前)の2つだけ。


ヤフーオークションで、落札したそば。
なんでも小豆島の手延べだとか。
期待したよりも美味かったが、塩分が多いので、そば湯はちょっと、という感じ。


今でこそ中高年を中心に手打ちそばを自分でやろうなんていう趣味が静かなブームであるが、十数年前にやっている人は相当な風流人である。第一、手打ちの道具も、そば粉も入手し難かった頃。たまたま、その頃、私は手打ちそばに凝っている人物と知り合いになった。その人は、私より十歳は年上で、元々料亭の板前をやっていた人だ。現在はまったく違う分野の印刷工場のオペレーターさんだ。板前の時にも手打ちで茶そばを作っていたのだが、改めてそば打ちをしたくなったということらしい。

そば打ちをしている人何人かと知り合いになったので、私もいつかそばを打つことを夢見ていた。しかし、元来の無精者であるが故、未だに道具すら持っていないし、知識も無い。逆にそばを打つから食べに来い、という便りを心待ちにしている。2年前、義父と長年親交のある一家が私の家族も含めて手打ちそばをご馳走するから来ないか、という誘いがあった。山形県の白鷹町という山奥に居を構えたその御仁の作ったそばはまた格別にうまかった。


手打ちそばセット
このセットはホームセンターで1万円ほどで買えるが、なかには「こね鉢」だけでも5万円などという代物があって、そう簡単には買えない。しかし、いつかはそば打ちに挑戦してみたい。

観光地のそばはあまりお薦めできない。信州のそば屋にしてもそうだ。次々に来るお客さんを手際よく裁く為にか、気持ちが入ってないように思う。そう思うのは私だけかもしれない。麺もつゆもそれほどではないし、山菜そばなどは、袋に入った漬物をそのまま使っていて、それはそれとして味わえばまあいいかと思うのだが、がっかりすることが多い。その中で、近年、これは、という店を知った。八ケ岳周辺は二十代頃から数え切れないほど出かけていたのに、いままで納得のゆくそばに出会ったことがなかった。それだけに、嬉しかった。やっと信州のそばに出会えたと思った。

私はどちらかと言えば、いわゆる都会的な感じのする更科系のそばより、ぼそぼそとした食感の田舎そばが好きだ。最近ではわざと荒挽きと言って、石臼で挽いて、あるいは、石臼で挽いたようなざらざらした生地がウケているが、まじめに細かく挽いても結果的に粗くしか挽けない時代には、更科のほうが圧倒的に高級だったりする。いったい何が高級かそうでないか、分からない。時代によって、品質が安定していて、悪く言えば均一なものが高級な場合もあるし、手作りで粗雑なところが高級な時代もある。でも、東北の私がご贔屓にしているそば屋(そうは言っても数年に1回くらいのペースでしか行っていない)は、時代の流れに無頓着で、いつも変わらぬそばを作っている。店の近所に住んでいる知人が時々送ってくれる。


最近私が異常に凝っているのが、写真の純そば茶。伊藤園から発売されている。非常に香ばしい感じの飲料で、冷やして飲むとうまい。焼酎で割ってもイケる。毎日1本のペースで飲んでいる。


都内の有名なそば屋、例えば砂場、藪そば、などなども一時研究の為に時々行ってた。でも誰しもが口をそろえて、美味いと言う店は興味が無くなってしまう。むしろ、誰も騒がない、なんでもない店でうまいそばに出会えると、超感動だ。若い頃、戸隠や白馬にスキーに行き、へとへとになって帰る道中、国道沿いの適当に入った店が非常に美味いそばを出してくれた。たいてい、そういう場合、店の名前は覚えていないので、ちゃんとしたリポートにならない。

なんだかんだとそばのことを書いたが、私は単に食べるだけで、その奥行きも理解していないし、味を評価する形容詞もよく分かっていない。が、そばは美味い。それだけだ。

イントロが長くなり過ぎたので、表題の「新そばを食べる」は、[[こちら]](俺達HP)のページに掲載しました。

PS:今から十数年前に北海道発「一杯のかけそば」というドキュメントストーリーが話題になったが、その後、著者が「あれは事実ではない。」という発表があった。ストーリーそのものも侘しいけど、あの告白はもっと侘しかった。ウソじゃない、と言い張ればよかったのに、と思うが。

2003/10/17

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上総アカデミアパークのコスモス


とてもいい天気。
家族揃ってアカデミアパークに来てみた。

上は、ホテルオークラ。
儲かってるのか、ちょっと心配になってしまうが・・・。



広々とした公園は気持ちがいい。



妻が一所懸命つくってくれたお弁当を食べる。
最高だね。



一面のコスモス。
この後、コスモス摘みを・・・。

2003/10/19

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東所沢に・・・


仕事でそっち方面に行った。
滅多に行かない地域なので、かなり遠く感じる。



さすがに西武王国。
民家の塀にライオンズ・ニュース。

「伊東新監督誕生」だって。

2003/10/24

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東京モーターショー


息子と行った。
いや、行ったというよりは行かされた感じか。(笑)

クルマやバイクを観るよりも、息子の写真と、おねえさんの写真をメインに・・・。(笑)

すけべおやじなのだ。(笑)
ま、しょうがない。



息子の監視がきついので、
おねえさんの写真を撮る機会はかなり限られている。(笑)



と言いつつ、なんとか無事に撮影成功。

でも、後で、妻にチクられた。(泣)

2003/10/25

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しばざ記 Vol.44


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