「俺たち2」管理人による遠距離通勤マガジン

ところで、このシリーズであるが、そろそろタイトルを変更しようと思っている。何故なら、あからさまに著者の本名に近いタイトルだし(一応、セキュリティを考慮して。)、サブタイトルが「遠距離通勤」となっているが、現在は遠出もするけど、毎日が遠距離通勤ではないからだ。

*右の写真は、ジミー竹内の近影。


元気いっぱいだけど、でも、大丈夫かなあ・・・
ジミーの家に行ったのだ



ジミー竹内から時々電話がある。焼き鳥の美味しいお店があるから、みんなで行こう、などと言ってるけど、大丈夫かな。周囲にジミーのサポーターがいるから安心しているのだけど、闘病生活が長いから外で遊びたい気持ちはよく分かる。でも、本当に大丈夫なのか。

そのうち伺います、と言いつつも気になっていたので、先日、ジミーの家に行ってきた。日暮れ時だったし、デイサービスに出かける日でもないので、絶対にいる筈なのに、玄関からピンポンしても、まったく応答が無い。ありゃりゃ、出かけてしまったのか。娘さんのクルマも無いし、どうなってるんだ。仕方ないので、時間つぶしにそこら辺をぶらぶらすることにした。

ジミーの家は、赤羽の高台にある。それほど道幅の無い坂道をくねくね昇っていった割と一番奥まったところにある洋風でセンスがいい割合大きな家だ。最近、ジミーの面倒を看るべく娘さん夫婦も同居している。だからなのかもしれないけど、外壁や内装を若干リフォームしていて、新築のような感じになっている。ジミーの家から更に奥に行くと、大きなお寺があり、その前にはいい感じの神社がある。その境内からは赤羽駅方面を見下ろし、また十条の方角の景色も広がっているので、気分がいい。山の頂上である。そこから先は道が無く、神社の脇に急勾配の階段が下の道に続いている。

山の上にある神社というのは私の好みだし、適当な森もある。いかにも神様がいそうな雰囲気だ。境内でちょっとひと休み。周辺は徐々に薄暗くなってきた。頃合を見計らって再びジミーの家へ。といっても、そう時間が経ったわけではない。再び、呼び鈴を鳴らすが人の気配が無い。裏側に回ってみた。部屋の明かりが見えた。あれ?いるんじゃない。ということで、またオモテに戻って玄関の呼び鈴を押す。でも、反応が無い。

すると、玄関脇のロッカールームに鍵が付けっ放しになっているのに気づいた。なんか物騒。ひょっとして、と玄関のドアを軽く引いてみたら案の定施錠していなかった。玄関を開けて、「ジミーさーん!」とか、「ごめんくださーい!!!」と叫んでみた。うんともすんともしない。諦めて帰ろうかと思い、車に乗り込み、エンジンをかけたら、玄関の明かりがついた。

玄関から奥さんがこっちを窺っている。慌てて会釈をし、ジミーを呼んでもらう。後で分かったことだが、奥さんは相当耳が悪くなっているようだ。ジミーは一歩づつゆっくりと階段を下りてきた。「おー、しばちゃん、よく来たねえ。あがって。」と言う。元気そうだ。転んだときに頭を保護するヘッドギアもつけてなかった。冒頭の写真がそのときのもの。私はジミーの後をゆっくりとついてゆく。

ジミーの部屋は、一番奥にあった。病院で使うようなベッドが置かれ、手元にはナースコールのような呼び出しベルだの、また、マッサージ器などがあった。ベッドの反対側にはドラムやパーカッションなどのジミーが音楽活動をする為の機材が積んである。倉庫を兼ねているのだ。また、ベッドの前には丸椅子と、ドラムの練習台も置かれている。時々練習しているのかとジミーに訊ねたら、毎日していると言う。「ただねえ、左手は殆ど動かなくなってしまったし、足ももうダメだね。早く元のようにドラムを叩きたいよ。」とジミーは苦笑した。

しばし、ゴリさん(ジミーさんの友人)のことや、近況などの話をしてからジミーはベッドに横になった。足がしびれているらしい。「どうもね、足が調子悪くて。それに強い薬のせいで時々話していることが分からなくなってしまう。」とジミー。でも、大丈夫、話はちゃんと通じている。

「そうそう、ジミーさん。最近、のなか悟空さんというドラマーの方がね、ジミーのレコード聴いてプロになったという話(ネットで)してたよ。」と言ったら、有り難いねとジミーはベッドの上で目を輝かしていた。ジミーはジャージのようなものを履いていた。右桃の脇のところに「タケウチワサブロウ」と片仮名で名前が書かれている白い布が縫い付けられていた。天下のジャズドラマーも迷子札をつけているのである。

「あのね。ぼくの友人の奥さんが脳軟化症でね。ぼくのレコードを聴くと症状が良くなるってんで、CDを送ってやろうと思って・・・。」ジミーは私にCDを手渡そうとした。部屋の中に小さなCDラジカセが置いてある。私は受け取って、CDをセットしようとしたところで娘さんが帰ってきた。代わりに娘さんがセットしてくれた。

部屋の中に高らかにジミーの叩くドラムが鳴り響いた。ジミー竹内&エキサイターズの演奏によるオールディズのヒットナンバーである。録音は今から三十数年前のものだ。しかし、音もいいし、ジミーの迫力のドラムが素晴らしい。しばし、ジミーと一緒に何曲か聴いた。右の写真はそのときに撮ったもの。カメラをラジカセに向けていたら、ジミーが音も録れるの?というようなことを言った。今でも凄まじい太鼓の音が耳に焼き付いているので、結果的には録れていたのだろう。

ジミーが、「もう一度こういう太鼓を叩きたいんだ。」とつぶやいた。そう、元気になって早く叩いてよ、と私は心の中でつぶやいた。ベッドの中のジミーは手足が枯れ木のように細くなってしまっている。老いたとはいっても、大スターだったドラマー・ジミー竹内の面影は無い。それでも、もう一度ステージに立ちたいというジミーの思いが傍らでCDラジカセに耳を傾けている私にも十分伝わってきた。

帰るときに娘さん(母子2代のバレエの先生)が、「実は、先日レントゲンを撮ったらまた脳梗塞になりそうな兆候があるんです。本人は元気でいますけど、体の中は凄いことになっているんです。だから、とても強い薬を投与してます。血が固まらないようにする為なんですけど、転んで怪我をしたりして、傷口から血が出たら大変なんです。」と言った。

すっかり真っ暗になった外に出て、クルマに乗り込もうとしたら、「しばちゃーん。待ってよ。街に一緒に連れていってよ。うまい焼き鳥でも食べに行こうよ。」とジミーの声が聞こえてきた。同時に娘さんが出てきて、「大丈夫ですから。どうぞ、お構いなく。」と、困ったように笑っていた。後ろ髪を引かれつつ、私はジミー宅を後にした。

ジミーの部屋に置いてあった木製のメトロノーム。かなり年季が入っている。おそらく相当古いものであるに違いない。日本のリズムマシーン・ジミー竹内を育んだのがこのメトロノームだったのかもしれない。

そのほかにも珍しい楽器(どれもパーカッション)がたくさん置いてあった。和太鼓もあるし、沖縄の太鼓もあった。写真ではご紹介できないので、比較的簡単に取り出せた鈴だけご紹介する。鳴らしてみたけど、いい音していた。

2005/9/18



ところで、のなか悟空様。ご覧頂いてますでしょうか。
先だっては、BBSへのご投稿有難うございました。ジミーさんにのなかさんのことをお伝えしておきました。いつかライブにお邪魔します。よろしくお願いします。

追記:
今回のしばざ記は、一旦終了した後に追加になりました。
オマケだと思ってください。(笑)


おまけ(↓)


またまた中板橋の六角亭に行ってきた
小川さんの味は健在だった



ジミー竹内の家からそれほど離れていないので、再び六角亭に行った。前回は腹いっぱいなので、何も食べずに失礼した。今回も、夕方に食べたちゃんぽんがまだ胃袋の中に残っていたけど、そう何度も来る機会があるわけじゃないし、無理やりでも食ってゆこうと立ち寄ったのである。


上の写真がメニュー。というか、壁一面のアートだ。もちろん小川さんの手づくりメニュー。
今の時代だったら、パソコンとプリンターでひょひょひょいって打ち出してしまえばいいのに、一つひとつ手書きだし、オマケにどんぶりの形に切ってあったりと手間隙かけている。だからといって、素晴らしいビジュアルかといえば、なんとなく貧乏臭くなっているから不思議だ。

だが、メニューのバラエティさはバツグン。値段もそこそこ安い。おつまみも別の壁面に掛かっているので、全部の種類を数えるのも大変なのである。そういえば、前回来たときに、お薦めはチャンポンだと言ってたような気がした。でも今回は夕方食べてきたので、他のものを頼むことにした。まずは鶏皮ギョーザ。これは珍しい。ギョーザの皮が鶏皮なのである。鶏皮が香ばしく焼けていて、そこそこ美味かった。次に納豆オムレツ。これもいい味出していた。で、最後にどかんと、カツ丼を注文した。それにしても私の腹は大丈夫か。

なんせ、夕方食べたちゃんぽんがまだ胃の中で踊っているのである。もう腹いっぱいだ。でも、実際に食べてみたら、食える食える。バツグンに美味い。それと、赤だし味噌汁が良かった。なめこ汁だった。いい味出していた。何年ぶりだか忘れたけど、かつて毎日にように食べていた小川さんの料理を堪能した。できれば次回はもっと腹を空かしてゆきたいものである。お近くの方は是非行ってみてください。場所は板橋区双葉町。愛染通りの交差点(愛染交差点)のところだからすぐ分かる。隣に代々続く立派なお蕎麦屋さんもあるし。(笑)


▲これが鶏皮ギョーザである。香ばしく、中はジューシー。何個でもイケてしまいそうだ。

2005/9/18


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