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「新編・山靴の音」 芳野満彦
1931年(昭和6年)生れ、登山家・RCC IIの創立同人・画家。東京都荒川区日暮里生まれ。本名、服部満彦。アルムクラブ所属。 |
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高校三年生から二十代の後半にかけて、いわゆる山岳小説だの、山行記録、山に纏わる紀行文とか、そういうジャンルが好きで読みまくった。この本はその中のひとつ。自分でも山登りをやったし、山岳写真にもハマったし、少しは身軽だった時期に沢登りなどもやってみたこともある。しかし、山は危険が至るところにある。ベテランでも命を落とすことがある。
写真の文庫本は昭和56年の初版で、その数年後に買った。手にしたときは、山に関する随筆集だと思っていた。軽く読みたかったのだが、いくつかの短編の冒頭がショッキングな話(実話)なのである。著者(芳野満彦氏)が高校生のときに、友人と冬の八ヶ岳に登り遭難する話なのだ。
雪山で猛烈な吹雪に遭い、ルートを失い、食糧も無くなり、水も無くなる。友人は凍傷にかかり、力尽き死んだ。それから数日間、彼は雪を舐めながら生きていた。万年筆のインクさえ凍るような寒さで、自らも死ぬ覚悟を決めていた。意識が朦朧とする中、寸前のところで救出される。そういう話なのである。氏はそのときの凍傷で両足先を失う。常人だったら、二度と山なんて行くか、と思いきや、彼はその後、世界の名だたる山々を登る有名なクライマーになる。
ある程度健康であれば、毎日の生活の中で突然襲ってくる死なんて無いと、普通はそう考える。重い病気にかかっている人は、毎日のように、「ひょっとしたら、今夜自分は死んでしまうかもしれない。今日は乗り切ったとしても、明日の朝、死んでしまうのだろう。」と、そんなふうに考えている。私の父がそうだった。病気じゃなくても、理不尽な事件や事故に巻き込まれて、不運な死を遂げる場合もある。冬山は、そこらじゅうに死が潜んでいる。ちょっとしたことが命取りになる。冬だけじゃない。夏山だって、色々な危険が潜んでいる。
久々にこの本の「八ヶ岳遭難」を読んだ。あまりにもリアルなので、読んでいるときにまるで雪の中に居るように全身ががたがた震えてしまった。芳野氏がそのとき、あと何時間で自分は死ぬんだろうか、などと考えながら数日過ごしていた気持ちが痛いほど分かった。私も山で死ぬような目に遭ったことが二度ある。でも、死ぬような目に遭ったと言いながら、こうして生きている。昨年、溺死したずっきーも生きていたら、今頃「死にそうだった。」と笑いながら酒を飲んでいただろうか。
忙しさを理由にあれから横浜の海に行っていない。そろそろ行って、ずっきーを慰めてやりたい。
2008.10.2
ええ天気じゃ!
清清しいのぉ。おのおのがた。
秋晴れとはこういう天気のことを言うのかな。
実に気持ちがいい。
2008.10.2
富士宮やきそば
前々から富士宮には是非ともやきそばを食べに行ってみたいと思っている。
予備知識として、シマダヤの、その名もズバリ、
「富士宮やきそば」(富士宮やきそば学会承認)(笑)
妻につくってもらった。
結構、イケる。
富士宮に行くのが楽しみになった。
2008.10.3
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