「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
しばざ記
しばざ記(最新インデックス) しばざ記(INDEX-16)  しばざ記・ブログ版  俺たちのHP(パート2)

仕返し
初めての屈辱。復讐に燃えた日々。
そして初めての虚脱感に初めての挫折感。


近所の広っぱの奥のほうの草むらに秘密基地をつくった。小学校2年生(くらい)の頭の中には国際救助隊の秘密基地を思い浮かべていた。実際には背の高い茂みの中の草を倒して、拾ってきたベニアの板を敷いただけの空間だった。外から見えなかったので、隊長の私と近所のガキがそこで秘密の打ち合わせをするには十分だった。何を打ち合わせしていたかというと、上級生のイジメに対しての仕返しをするためだった。

近所に庄司(仮名)といういじめっ子がいた。いじめっ子というより庄司は小6か、ひょっとすると中学生くらいだったので小2の私から見ればずいぶん大人に見えた。彼には仲間がいて、それは私の同級生の高谷(仮名)だった。高谷は私と最初は仲が良かった。一緒によく遊んでいた。でも時々、キャッチボールをしているとその庄司が現れて、私のグローブを取り上げ、高谷とずっとキャッチボールを始める。私が、返してくれと言ったら拳骨で殴られた。凄く悔しかったけれど、絶対に勝ち目が無いので、反撃はしなかった。

同級生たちとメンコをして遊んでいるときも庄司が現れた。私は結構うまかったから同級生からたくさんのメンコを戦利品として奪っていたのだが、いきなり庄司が「返してやれよ。」と言った。私が嫌だと言ったらとんでもなく強い力で投げ飛ばされてしまった。体中泥だらけで、そのときは我慢したけれど、誰もいない場所でひそかに散々泣いてから何食わぬ顔で家に帰った。子ども心にヘンに親に心配をかけまいとしているのだ。現代のイジメ問題でも子どもがイジメに遭ったことを親に隠すことで段々と大事になってゆくことが多い。まさに昔もそういうことがあったのだ。

私は庄司に対して、仕返しをしてやろうと決心した。同級生に聞いたら、彼らも結構被害に遭っていることがわかった。まずは皆で力を合わせることが肝心だと私は同級生に力説して、数人でキラキラ団(果たして名称が合ってるかどうかは分からない)を結成した。その隊長が私だった。授業中にキラキラ団の会則などをつくってはこっそり回覧していた。そして、士気を高めるために前述の秘密基地にをつくったのだ。でも、その頃になって段々庄司に会う機会が減っていた。当初の目的をキラキラ団は失っていたのだ。

結局、キラキラ団は私と栗田(仮名)だけになってしまい、秘密基地には、目的とは関係無しに私の弟や下級生のちびっ子達の溜まり場になってしまった。ただ、いつ庄司が現れてもいいように、秘密基地に来るまでの草むらには落とし穴をつくったり、草を結んで足が引っ掛かりやすいような色々な仕掛けを作って備えた。作戦会議は頻繁に行われた。下級生が主に偵察部隊で、2〜30分その界隈を偵察してその様子を基地に戻って報告した。時には偵察に出たまま母親に捕まって帰ってこない者もいた。

やがて、キラキラ団は私だけになった。周囲を背の高い草に囲まれた空間に一人でいた。ベニアの板の上にごろんと寝転がると、青い空が丸く切り取られていた。ワケの分からない虫がぶーんと飛んできたり、遠くのほうで田んぼを耕す耕運機の音が聴こえてきたり、そんな日々を過ごしているうちに、おそらく人生で最初の虚脱感、挫折感を覚えたのではないだろうか。仕返しに燃えていたあの頃を小2の男の子が一人回想していたのだ。

2009.12.4
(写真は幕張のドンキホーテ・・・・・話とは関係ありません。)

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ウミネコ


どうやら幕張の海には数多く生息しているらしい。

写真は夕暮れ時、幕張の浜に佇むウミネコ。
山下達郎の歌に出てくるウミネコとはタイプが異なるようだ。

2009.12.4

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井手麻理子ライブ at M-Tokyo

(12月4日夜) また八重洲口の東京建物の地下にあるM-Tokyoに行ってきたよ。今夜はTK(株)の社長とご一緒させて頂く。イデマリさんのライブはキャロルキングとカーペンターズ特集。いいね、こういうのって。

樋口直彦さんのギターも最高っ!
なるほど、「Close to You」ってああやって弾くんだあ。
と言っても私には出来ない。(泣)

知り尽くした感のあるカーペンターズの曲が独自のアレンジで、ジャジーなコードに変換されているので、かっこいい。さすがプロフェッショナル。またまたギターの奥深さを知った夜であった。

http://idemari.syncl.jp/ ←井手麻理子オフィシャルサイト

2009.12.5

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可愛過ぎる車内放送

きっと私のほかにも大賛成の人が多いと思う。あの東京メトロのアナウンス。めちゃくちゃ可愛いと思わない?

以前からもちろん気になっていた。西船橋から東西線で都内に出る場合には比較的長い間乗っているのでたっぷり聞ける。「次は茅場町です。お出口は右側です。」なんて言われると、なんとなく嬉しい。男のアナウンスだと、「わかってるよ、そんなこと。」と言いたくなってしまう。

あの娘さん、声質的には20代前半だと思うのだが・・・。

だけど、女性はあのアナウンスをどう思うのかな。にやろめ、甘ったるい声出しやがって、みたいに思うのかな。ほら、よく男性の好きなタイプの女性が、女性から見た場合に嫌いなタイプみたいなことってあるじゃない。

英語版はクロード・チアリの娘さんだということだ。

2009.12.5

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アマちゃん死去

糸井五郎、てっちゃん、カメ、アンコーとともにオールナイトニッポンのパーソナリティをやってた人。正直言うと、地味であまり面白いことを言うタイプじゃなかったせいで、当時中学生の私としては好きじゃなかったのだ。アマちゃんファンの方、すみません。地味だったから、というより周囲が派手だったから、しょうがない。「あーあ、今夜はアマちゃんの日だよ。」なんてぶつぶつ言って他局を聴いていたような気がする。でも、時々は聴いていた。ニッポン放送ファンだったのだ。特に木更津に送信所が移転してからは、チューニングの精度の低い安物ラジオだと1,200KHz辺りでは文化放送を潰してニッポン放送しか受信できなかった。ひょっとしてその頃って、Hzじゃなくて、まだ「サイクル」という単位だったかもしれない。

好きではなかった、そうは言いつつもあの頃のアマちゃんの声は今でも耳に残っている。やっぱり、なんだかんだと結構聴いていたのかもしれない。そして、学校で級友がアマちゃんの真似をしていたのも覚えている。合唱。

天井邦夫氏死去 元ニッポン放送副社長

 天井 邦夫氏(あまい・くにお=元ニッポン放送副社長)3日午前10時半、大動脈解離のため東京都で死去、72歳。東京都出身。葬儀・告別式は7日午前11時から東京都目黒区碑文谷4の21の10、帝都典礼碑文谷会館で。喪主は長男の政彦(まさひこ)氏。

 同局の深夜放送「オールナイトニッポン」の初期のパーソナリティーを務め「アマちゃん」の愛称で呼ばれた。


2009.12.5

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鯛の頭

最近の我が家の食卓。(おとといだったかその前だったか。)

これがまた実に美味なのだ。
とくに頬の肉がきゅっとしまって旨い。
甘辛いタレもいい。

でかい鯛だと、頭だけでも結構肉がたくさんなのだ。(右の写真だと分からないかもしれないけど、赤黒いタレの輪っかの直径がだいたい25センチくらい。おそらくそうとうでかい鯛だと思う。体長90センチくらいはありそう。)

ポン酒、ちびりちびりやりながら。さいこーっ!

アツアツのご飯でもいいか。

それと、きりたんぽ鍋だった。
鍋、さいこーっ!
ああ、腹いっぱい!!

そうだ、昔(9年前くらい?)、ヤスさんに木更津の海でご馳走になったきりたんぽ鍋はヤバイくらい美味だった。また、お願いします。(笑)

2009.12.5

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餅つき

12月5日の午前中、自治会主催の餅つき会だった。いつもだと防災訓練との組み合わせなのだが、都合で単体での開催となった。長谷工の鶴巻さんが頑張ってくれた。やっぱ福島の田舎で鍛えた餅つきのテクとパワーには脱帽。今、69歳だということだ。

右は、大根おろしを絡ませた、つきたての餅。

今回M本さんが雑煮もつくってくれた。野菜とシイタケ、鶏肉だけの具でシンプルかつ、味わい深い。またもや腹いっぱい。

このイベント、だんだん子どもの参加が少なくなってきた。ちょっと寂しいのだ。うちの子だってこのところ町でやるイベントにはまったく興味を示さないしな。仕方が無いことだろうな。その代わり新しく越してきた家の小さいこどもさんが徐々に増えてきた。そうだ、考えてみりゃ私ももう14年くらいこの街に住んでいるのだ。平均年齢が30代の前半というベイタウンにとって私はもう立派な(笑)古株だ。まいったなあ。

2009.12.6




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2009/12/6
しばざ記 769
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