新年早々、叔父(母の兄)が亡くなった。享年81歳。肺がんだった。酒が好きで、既に近づいてくる死を覚悟したときにも病院を抜け出して飲んでいたほどだった。発病して(病気が発覚して)約1年半。昨年暮れから既に意識不明だった。娘(私の従妹)の娘(故人の孫)が、娘を2ヶ月前に出産。つまり生まれた娘はひ孫にあたる。その時には前述の通り意識が無かったので、ひ孫が出来たことを知らずに旅立ってしまった。
叔父にはこのところ数年に一度しか会わなかったけれど、私が妹の子どもだということで、特別に可愛がってもらったような気がする。また母親側の兄弟では唯一の男だったので、私も特別に慕っていた。私が成人になってからは会えばとことん飲まされた。私も嫌いじゃないので、二日酔いになるまで飲んで、翌日、あまりにも調子が悪いので、朝から一緒に迎え酒をやったことも多々ある。
葬儀は盛大だった。びっくりするほどたくさんの人が集まった。田舎のことだから親戚一同、ご近所だけでも相当な数になる。もちろん遠方から来られている方々も多かった。通夜は自宅で執り行われた。広い家だからそれが可能なのだ。叔父の家の本家が由緒ある神主の家柄なので、神式である。通夜の前には、あの映画「おくりびと」のもっくんが演じたのと同様に納棺師の方がご遺体を清めてくれた。本物を見たのは初めてである。
納棺師の方は、病院の寝巻から、きれいな白い絹の着物に鮮やかに、厳かに着替えさせ、ご遺体の顔を単に化粧するだけではなく、シェービングクリームを塗り、丁寧に髭を剃り、シャンプーまでしてくれた。お陰で叔父はとてもいい男に変身した。有難いことだ。
告別式は、広い会場を借りて行った。三人の宮司により執り行われた。会場内には九十代を筆頭に零歳(2ヶ月)までの様々な世代が集まった。平均年齢はぐっと高く、見渡せば殆ど歳をとっている人ばかりだ。控え室は賑やかだった。やれ山の上の誰々が、川向うの誰々の家に嫁いで、誰々のじいちゃんは3年前に亡くなって、誰それの息子が東京のどこどこに住んでいるとか、誰それが市会議員になったとか、都会の葬式とは違って、親戚中心であるから話題が非常にローカルである。
この4日間、移動時間を除き、私は殆どご遺体の近くにいた。四六時中、料理を食べ、酒を飲んでいた。いや、私だけでなく、たくさんの人がずっと故人と一緒に過ごすのだ。だからもちろん、テレビも観ないし、ましてはパソコンなど一切触っていない。何十年かぶりに会った従妹と話したりしていると、意外に時間はどんどん過ぎてゆく。
そして今日、こうやってパソコンに向かってキーボードをたたいている。久しぶりにパソコンでメールを受信した。新年だからか、メールの受信件数はそれほどでも無かった。迷惑メールも少なめだった。パソコンに向かっていると、あの田舎の叔父の葬式が何か遠い世界の絵空事だったような気がしないでもない。いやいや、そうではない。叔父の死は紛れもなく現実なのだ。過去を語れる人がまた一人少なくなった。さびしい。
*写真は、故人のタバコとライター。
今にも起き上がって、タバコに火をつけそうな気がしてならない。
2010.1.9